(一)
農第九四二三号 大正三年十二月八日
農務局長
衛生局長
北海道庁長官。警視総監。京都、大阪、神奈川、兵庫、埼玉
群馬、千葉、茨城、栃木、奈良、愛知、山梨、岐阜、長野、福
島、山形、大分、熊本、宮崎、鹿児島 各府県知事宛
狂犬病の予防制圧については相当対策を講じておられる事とは存じますが、近来ますます蔓延の兆しがあり、公衆並びに獣畜衛生上において見逃すことができないと考えております。そのため、一層のご配慮のうえ、なるべく速やかにその撲滅のための対策を行われるように御願い致します。以上、通牒致します。
追って、右の予防制圧に関し、左記の事項をご参考までに申し添えますので、よろしく御斟酌のうえ有効な方法を実行下さるよう御願い致します。
[93四八二.四八三]記
(二)
同 号 同 日
農務局長
衛生局長
長崎、新潟、三重、静岡、滋賀、宮城、岩手、青森、秋田、福
井、石川、富山、鳥取、島根、岡山、広島、山口、和歌山、徳
島、香川、愛媛、高知、福岡、佐賀、沖縄 各県知事宛
近来、狂犬病が各地に発生流行し、病毒はますます蔓延しており、公衆衛生並びに獣畜衛生上の危険が少なからずあることから、現在発生している府県に対し別紙写しの通り通牒しておりますが、貴県においても相当の警戒をされるよう、このことについて通牒致します。
(一)
畜局臨第一三〇〇号 大正十二年十二月五日
畜産局長
各地方長官宛(東京府は警視総監)
最近、狂犬病の発生区域が次第に広汎にわたり、本年十月末までに既に二十三県となり二千三百余頭の発生がある。前年と比較し、発生している府県に
[94四八四.四八五]おいても、発生数において一千三百頭と激増しており、人畜並びに保安上憂慮する事態となっているのみならず、欧米文明各国と肩を並べる国家の対面上からも誠に遺憾とするところであります。しかし、各地の流行の状況を見ると、病畜の過半数は野犬であり、従って本病毒の伝播は、多くの場合これら野犬が咬むことによって起こると思われるので、この際、流行している地方においては一層野犬の掃討、畜犬の繋留、口網箝口の励行に努められ、未だ発生していない地方においても平時において畜犬の整理、野犬の掃討など、犬の取り締まりを厳重にし、それにより病毒の侵入を未然に防ぎ、速やかに本病の根絶を計られるようにしたいので、このことについて通牒致します。
追って別紙により、最近三箇年地方別狂犬病発生頭数表をご参考までに添付致します。
発生頭数表(略)
(二)
畜局第一五〇七号 大正十三年四月十六日
畜産局長
各地方長官宛(東京府は警視総監)
狂犬病予防に関しては、昨年十二月五日附、畜局臨第一三〇〇号により通牒しましたが、これ以降、地方によっては多少その発生数の減少があり、或いは全く発生しなくなった地方もあるものの、一方では新たに発生の区域が拡大しますます増加の傾向を示し、全体的には例年にない発生が拡大する状況となっています。この状況から考えると、年々多数発生する時期である晩春、初夏の頃に入るとその被害の程度はまさに戦慄すべきものがあると考えられます。従来、防疫の成績が予想通りに運ばない地方をみると、大体のところ予防注射にのみ頼り、畜犬の整理や野犬の掃討において徹底を欠く傾向があります。結局のところ、本病の防疫には野犬を徹底的に掃討することを基本とする必要があるので、この際、この方面に主力を尽くすとともに、本病の根絶に対してご配慮下さるよう、このことについて通牒致します。
追って、別紙、最近における狂犬病発生状況を、ご参考までに添付致します。
畜局第一七六四号 大正十五年七月六日
畜産局長
警視総監、群馬、千葉、埼玉、神奈川、 各県知事宛
最近における狂犬病の発生並びにその流行に鑑み、その予防上遺憾の点少なからずと認められるので、この際一層本病予防の徹底を期するため、さきに家畜衛生主任会議において決議したところである。差しあたり第一回の試みとして関東諸府県(群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川)聯合し、狂犬病予防週間を開催するよう致したいので、貴庁においても然るべく御配意のうえ、之れが実施期日並びにその方法等協議のため、本月十二日(午前九時)関係職員派遣いただきたく、この件について照会致します。
追って協議に関する内容、参考のため別紙添付候
畜局第一七六四号 大正十五年七月十四日
畜産局長
警視総監、関係県知事宛
[103五〇〇.五〇一]さきに御照会致しました狂犬病予防週間実施方に付いては、本月十二日、本省において協議会開催の結果、別紙の通り議決されました。右各項実施は狂犬病予防上極めて適切の事項と思いますので、この実施に付き、特にご配慮をいただきたく、念のため、この件について通牒致します。
追って、右決議中「ラジオ」放送、及び飛行機宣伝に付いては本省より直接関係当局に交渉のうえ何等かの通知を致しますので申し添えます。
別紙 略
畜局第一七六四号 大正十五年七月二十七日
畜産局長
警視総監、関係県知事宛
七月十四日付、畜局第一七六四号を以て狂犬病予防週間実施に関する件を通牒致しましたが、「ラジオ」放送の件は、本月三十一日午後六時半より「狂犬病について」との演題の下に山脇農林技師により講演させることに決定いたしましたが、陸軍飛行機による宣伝の件に付いては目下陸軍において教育並びに演習等の都合により、本省の希望には添えないということであり、右ご諒解いただきたく、この件について通知致します。
畜局第一九九〇号 大正十五年八月二日
畜産局長
警視総監、関係県知事宛
狂犬病予防週間にあたり暑さの砌ですが、予期の効果を挙げるため一層の努力を御願い致します。
(二)第二、三、四、五、六回地方聯合及び全国一斉予防週間の実施内容、及び手続きは全て第一回と大同小異に付き、略す。 (三)大正十六年度より定期狂犬病と脳週間実施に関する件
畜第五三六七号 大正十五年八月三日
畜産直腸
各地方長官宛(東京府は警視総監)
狂犬病予防に関しては、従来各種の方法により、この予防制圧に努めつつありました。特に本病予防に関する知識の普及を計るとともに、各地一斉に畜犬の整理、野犬の掃討を行うことは本病予防制圧の上で最も緊要なる事項であり、さきに第三回家畜衛生主任会議において予防週間設置に関する決議をしたところであるが、なお本年四月二十日畜第二九五七号により、補助金交付要項を通知しておいたので、明年度以降においては毎年期日を定め全国一斉に狂犬病予防週間を実施し、そうして野犬掃討、その他狂犬病予防の徹底を計るようにしたいので、つきましては、これに要する県費、その他必要な事項等を、それぞれご配慮くだされたく、このことについて通知並びに照会致します。
追って、予防週間施行に関する事項、並びに方法等、その細目にわたり御協議を要すべき点が多々あると思われるので、このことについて念のため申し添えます。
国際連盟 エム・エル・七、一九二六
ジエネバ 一九二六年七月九日
国際聯盟衛生委員会は、過去も何度か国際的観点から狂犬病予防に関する問題の研究を行う必要がある旨の要求をされて来ましたが、この提議が緊急を要することを認めるとともに、全世界の技術者が狂犬病問題に取り組むことを希望するものであるので、衛生委員会は一九二七年四月二十四日、パリにおいて各国の主要な狂犬病研究所長が出席する国際狂犬病協議会を開催することを決定致しました。
この会は「パストール」家において開催されるようにと、パリの「パストール」研究所の好意による申し出があり、衛生委員会はこれを快諾致しました。
小官は、貴国の主要な公私狂犬病研究所長を本協議会に派遣されることを、貴国の衛生管理者に懇願するものです。貴国の衛生管理は、本要求を快諾され本協議会のために、必要な文書を正式な手続きにより送付され、派遣を命じられる技術者の姓名および住所を御通知いただければ幸いです。
討論の基礎となる総合報告書は「エム・エー・カルメット」「エム・エー・マリー」「エム・レムリンガー」および、聯盟書記局衛生部により準備する予定です。
これらの文書は、主要狂犬病研究所長に至急送付され、所長の、この報告書に対する意見を文書にて送付されるようお取り計らい下さい。研究所長は、前述の諸点に対して各自の研究所が行った実験の報告を送付できる状況にあるときは、小官等はその内容を総合報告書に掲載することを予定し、または、その要点を報告書に添付致します。
貴衛生管理者が派遣にご配慮いただくことが本協議会の成功に貢献すると思いますので、派遣方についてご諒解下さるよう御願い申し上げます。
[116五二四.五二五]開催年月日 |
自一九二七年四月二五日 至同 年四月三〇日 (六日間) |
開催場所 | 「パストール」研究所生物学図書館 |
出席者 | 各国狂犬病学会代表者、国際聯盟事務員、「パストール」研究所等百数十名(本邦出席者 北島多一、城井尚義、塚安喜雄、草間良男) |
会議の次第
一、 | 開会の辞 | パストール研究所長 エミール・ルー |
一、 | 各国代表挨拶 | マック・ケンドリック その他 |
一、 | カルメットの講演 | (要旨 パストールの狂犬病に関する研究業績紹介) |
一、 | 分科会の数協議及びその座長選挙 | |
一、 | カルメットの演説 | |
一、 | 英、伊、独の代表挨拶 | |
一、 | 閉会の辞 |
分科会は四部に分けて行われた。その担当及び座長は次の通り
担当事項 | 座長 | |
第一分科会 | 狂犬病の本態 | B・・・K・・・ |
第二分科会 | 狂犬病の治療 | M・・・B・・・ |
第三分科会 | 治療方法とその治療方法により起こる病的反応 | P・・・Z・・・ |
第四分科会 | 動物の予防接種 | 北島 V・・・ |
狂犬病治療法の根本方法については、各委員によって採決した結論で示されたように、大きな異論があり本会議中最も議論が沸騰したのは、いうまでもなく、狂犬病の本態如何の問題である。その次に、治療中の反応現象として屡々着目されている麻痺の問題も、かなり欧州学者の議論の中心となった。その要点は次の通り。
本会議は、各国研究所において使用されている種々の治療方法の成績を(本会に提出されたものを)比較研究し、その利害得失を検討した結果、次の結論を得た。
治療上における全ての変法は特記すること。また、麻痺の所については特に詳細に記載し、また、「死の転帰を」とることができるかどうかを記入すること。(訳者注「病気が発症し死に至る経過を記録できるかどうか」という意味か)各研究所内において行われた治療と、研究所外において行われた治療とは明確に区別して統計を作成すること。
各種動物の狂犬病予防接種の研究が重要であることは、今日まで多数の動物に予防接種を実施して効果を得たにもかかわらず、本会議は取締規則を根本的に改正する必要は認めなかった。ただし、本会議は次の諸件を希望するものである。
他種動物については次の諸件を希望する
狂犬病を完全に撲滅するためには、口輪を箝めていない犬の所有者は各自の犬を放置せず、住居に入れておくこと。また、野犬を撲殺する以外には良い方法が無いこと。これは本会議の意見である。 そのため、本会議は各国政府の規則中に以上の方法を実行することが可能な条項を規定されることを希望する。
国名 | 狂犬病予防に関する法律または規則 |
日本 | 狂犬病予防に関する法律または規則 |
イギリス | 狂犬病令(農務水産省令) |
フランス | 家畜伝染病予防法 |
ドイツ | 家畜伝染病予防法中特別法 |
オーストリア | 家畜伝染病予防法中特別法 |
スイス | 家畜伝染病予防法中特別法 |
北米合衆国 | 各州法中当該条項 |
一八九四年―一九一四年家畜伝染病法に基づく権限ならびにこれに関するその他の権限に基づき、これを施行するため次の省令を発令する。
第一条 |
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第二条 |
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第三条 |
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第四条 |
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第五条 |
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第六条 |
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第七条 |
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第八条 |
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第九条 |
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第十条 |
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第十一条 |
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第十二条 |
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第十三条 |
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第十四条 |
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第十五条 |
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第十六条 |
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第十七条 |
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第十八条 |
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第十九条 |
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第二十条 |
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第二十一条 |
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第二十二条 |
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第二四一条 | 畜犬は、その首に、所有者の氏名住所および鑑札番号を刻んだ畜犬票を付けること。 |
第二四二条 | 狂犬病に罹った獣畜、ならびにこれに咬傷を負わされた犬または猫は、直ちに撲殺すること。狂犬病に罹った獣畜に接触した犬または猫は、少なくとも百日間隔離すること。その他、狂犬病に罹った獣畜に咬傷を負わされ、またはこれと接触した獣畜は、少なくとも百日間隔離すること。隔離を命じられた馬、または牛のうち、直ちに適切な口箝を着用させたときは、これを労役に使用しても良い。 |
第二四三条 | 狂犬病の疑いにより撲殺した犬の頭は、適切にこれを包装し、試験所に送付すること。 |
第二四四条 | 狂犬病に罹った獣畜が徘徊した地域は、その徘徊した道路から少なくとも五キロメートルの距離を犬の遮断区域とし、全ての犬の隔離を命じ、または、堅固な口箝を着けさせること。この遮断期間は、最後に狂犬病が発生した日から少なくとも百日間継続するものとする。犬の遮断期間中は、その隔離区域から犬を輸出、または輸入することが出来ない。犬が隔離区域から逃走した時は、その所有者は直ちに地方庁に届け出ること。隔離区域内の野犬のうち狂犬病の疑いのあるもので、捕獲することが出来ない時は、当該警察官署は、これを撲殺することができる。 |
第二四五条 | 州の境界から十キロメートル以内の距離において狂犬病が発生した時は、その隣接州の衛生局にその旨を急報すること。 |
第二四六条 | 猫の狂犬病が猛威を振るっている時は、一定の地域または市町村内の、全ての猫を撲殺すること。 |
第二四七条 | 猫、またはその他の野獣に、狂犬病が発生した時は、これを掃討するため特別狩猟を命令すること。 |
第一一〇章
第一一一章
第一一二章
第一一三章
第一一四章
第十五章
第一一六章
狂犬病の危険のある場所において、第三十四条の規定に違反し、または正規の頸帯を付けないで徘徊する犬がある時は、直ちに撲殺を命じることができる。
七月十八日
山田衛生局長
農商務省畜産局長宛
拝啓 狂犬病予防に関し打合せ致したいので、七月二十五日(金曜)午前九時当省までご足労を煩わしたく存じます。草々
畜産局長より衛生局長への抗議および衛生局長答弁の要領
昭和二年文第七〇号 昭和二年四月十三日
特別委員会は行政調査会から附託された各庁事務系統の整理に関する件に付き、慎重に検討し、別紙のように決定した。
各庁事務系統整理案に関する行政調査会特別委員会報告書
第三 内務省に関する事項
三 狂犬病予防事務は内務省に移管するものとする
昭和二年閣甲第二五三号 昭和三年一月十日
内閣書記官長
農林次官宛
各官庁の権限整備に付き、今般運動競技に関する事務外十三項目に関し、別紙の通り行政制度審議会長より報告があり、右を妥当な内容と認め、関係官庁においては右報告に基づき関係事項を調査のうえ、各庁権限整備を行うことを閣議決定されたので、右の実施について適切に取り計らうよう要請し、これを通達する。
六 狂犬病予防事務は、これを農林省から内務省に移すこと
狂犬病に関する事務
事項 | 所属 | |
一、 | 人の恐水病予防 | 内務省 |
一、 | 犬の狂犬病予防 | 内務省(家畜の狂犬病予防上特に必要なときは農林省が関与する) |
一、 |
犬以外の家畜の狂犬病予防 犬および犬以外の家畜の狂犬病に関する事務 |
農林省 |
一、 | 調査及び試験 | 獣疫調査所 |
一、 | 予防消毒および治療方法の研究 | 獣疫調査所 |
一、 | 血清類製造、配付、検定 |
内務省 獣疫調査所(検定は調査所に限定のこと) |
一、 | 講習および講話 | 獣疫調査所 |
一、 | 血清類の取扱事務 | 農林省 |
一、 |
血清類の取扱事務 (製造輸移入の認可及び打合せ) |
農林省 |
一、 | 血清類の製造購入費補助事務 |
内務省(犬の狂犬病血清類の補助事務) 農林省(犬以外の家畜の狂犬病の血清類の補助事務) |
一、 |
野犬掃討 (道路、公園等の浮浪犬を含む) |
内務省 |
[135五六二.五六三] | ||
一、 | 畜犬の整理 | 内務省 |
一、 | 畜犬の予防注射 | 内務省 |
一、 | 犬以外の家畜の予防注射 | 農林省 |
一、 | 畜犬の繋留、輸移入禁止および交通遮断 | 内務省 |
一、 | 咬傷犬の検診および診断 | 内務省 |
一、 | 発病家畜および感染虞畜の措置 |
内務省(犬) 農林省(犬以外の家畜) |
一、 | 予算関係 | |
|
内務省 | |
一、 | 犬の検疫事務(輸移入) | 内務省 |
現在人員 | 委譲人員 | |
防疫獣医 | 四〇人 | 四人 |
臨時傭入獣医 | 二一人 | 四人 |
計 | 六一人 | 八人 |
内務省農林省訓令 昭和四年四月十一日
庁府県 税関
犬の狂犬病予防事務は、昭和四年四月一日以降、農林省から内務省に移管されたので当分の間従来の例によりこれを施行し、かつ農林省令、同訓令、同依命通牒等に基づく本事務に関する方向または申請等はこれを内務省に提出すること
内務大臣
農林大臣
昭和四年四十一日
(一)
内務大臣
大蔵大臣宛
官庁権限整備に関する閣議の決定に基づき、犬の狂犬病予防に関する事務は、本年四月一日以降、農林省から当省に移管されたので、ついては、税関官制第一条第一項第十二号の事項中当該事項に限り本省において掌理することとなったので、別紙写の通り各税関へ訓令致しますので御了知下さい。
(別紙訓令写 略)
(二)
宮内、鉄道、陸海軍、各次官および拓殖長官宛
[137五六六.五六七]官庁権限整備に関する閣議の決定に基づき、犬の狂犬病予防に関する事務は、本年四月一日以降、農林省から当省に移管されたので御了知下さい。
(三)
衛生局長
畜産局長
各地方長官宛(東京は警視総監)
官庁権限整備に関する閣議決定に基づき、犬の狂犬病予防に関する事務は、本年四月一日以降、農林省から内務省に移管されたことにより、その主な事務は別記の通りとなるので御了知下さい。
別記略(農林省移管方針に記載してあるもの)
予防週間実施に関する件 (実施計画 略)
府下狂犬病が次第に猛威を振るうようになっているため、欧米先進国の慣例に学び、畜犬には全て箝口具を施させ、これが出来ない犬には綱を付けて牽行するか、あるいは各家に繋留させ、かつ、畜犬の頸輪には各所轄において番号を付けた時代があった。しかし、箝口具は、ただ顔面口囲を被うに過ぎず、咬噬飲食等には何等の妨げとならず、甚だしい場合はゴムで作ったものがあり、一見緊縛しているようであるものの、実は伸縮自在であり、殆ど用をなさない
[140五七二.五七三]物が多く、そのため後には全て口網を装着させることに改正した。この法は時の警視総監亀井英三郎氏によって厳格に励行され、総監および各警察署長が部下に対する訓示等のことがあれば必ず畜犬の箝口具に及ばないことが無く、毎朝これを繰り返し、止むことは無かった。各巡査は、隔日その受け持ち区域を巡邏してその励行に努め、違反者は拘留または罰金を取られた。しかしその実行は非常に困難であり、口網を頸部に結束したまま徘徊する犬が多く、その畜主を捜して詰問すると、数分前食物を与える際に脱がしただけだと言い立て、慌ててその犬の顔面に装着するものの、犬はこれまで正しく着けたことが無いため非常に嫌がり、附近の物体や障壁等に擦りつけてはこれを脱ごうとし、甚だしい場合には顔面、頸部等の皮膚を損傷してしまっても、思うようにいかないため逆上のあまり種々の狂態を演じるので、愛犬家はそのやりきれなさを訴えるのである。
元来、口網を完全に装着すれば背腰等が痒い時にこれを掻舐することができず、また他の犬と喧嘩するときも唯一の武器を封じられるために、空しく敵に咬まれてしまうことになり、その他、路傍に遺棄された食べ物を見てもただ唾を垂らすだけになってしまう。また、最も生理的に有害なことは、かれら犬類特有の、夏期に発汗することに換えて口腔を開けて呼吸することが出来ないなど、愛犬家の苦情が百出してこれを励行することは非常に困難であると感じたものである。
明治四十四年の秋、安楽兼道氏に交代して彼が警視総監の椅子を占めると、断然として口網の箝口を廃止し、その代わりに咬傷の虞のあるものに限り厳重な繋留もしくは口網を命ずることに改め、愛犬家から好評を博した。元来、本邦の畜犬は、欧米のものと比較し、粗暴であるだけでなく畜主の風俗習慣、その他、家屋邸宅の構造等に著しい違いがあるので、彼国においては容易に行うことができる繋留口網制度のようなものでも、我が国では非常に熱心にこの実施に努めても、違反者のみ多く、取り締まりが非常に困難であると感じている。また、東京府下に飼養する畜犬の多くは番犬または愛玩犬であり、幾らかは猟犬闘犬その他の目的で飼育されているものがあるとはいえ、それらは非常に少なく、多数は劣等の犬種であるため、欧米にみられる貴種に比べて雲泥の差がある。従って、愛撫の意志も欧米に比べて甚だ乏しいので、犬舎も不完全なものが多く、概して床下または道路をその棲所に充て、一日に三食を与えれば足りるというだけで犬を放飼するだけであり、犬が盗まれても気にしない。甚だしいものは、自分は木賃宿に寝泊まりし、犬税を納めているものがいる。あるいは、一棟に数件が入っている貧家が共同して飼養していることもあり、たまたま狆のような犬を愛育する者の場合は猥りに外出はさせないけれども、その他の犬族は殆ど全部が放し飼いされ、出入り自在、東奔西走、自由に動き廻り、愛人の後について遠く数里の外に遊び、あるいは近隣の親戚の家に行って媚を売り食物を与えられ、胃腸が満たされれば飼い主の庭で眠り、睡眠から覚めれば門前の道で咆哮する。このような動物を一律に繋留拘束する時は、急にその自由を奪われ運動を欠き、かつその性質として糞尿の排泄を我慢するので顔色憔悴、食欲不振、しばしば悲鳴を挙げて哀れを乞うことになり、畜主は自然に憐愍の情がわき起こるので永く繋留することが出来ない。かつ、本邦人の習慣として、とにかく邸宅内で生活する者が多く、外国人のように殆ど日課として自分から犬を牽いて運動する者が少なく、ついには多少の罰金を払うことやむを得ないとして解放し、或いは自暴自棄となり、むしろ飼養を止めても良いとして撲殺を乞う者までいる。
かの欧米人は、高価の犬族を数頭家屋内に養い、畜主とともに起臥する様子は、まるで小児を扱うようであり、その犬舎を備える場合は庭園内にこれを置き、その外囲はレンガまたは鉄柵を廻らし、毎日一、二回は愛犬を牽いて公園内を散歩するという風俗習慣に比べれば、到底同じような議論はできない。つまり、明治四十四年安楽総監が畜犬取締の方針を更改した原因の一つであり、これ以降、人を咬傷したもののみに繋留を命じ、その数は僅かに千頭内外であるが、前章繋留犬にあるように、時々違反者が出ている。取り締まる上では非常に困難であるけれども、これらは現に人を咬傷している事実があるため適切に指導すれば、ついには法規を遵法すると思うけれども、一般の畜犬にこれを施行することは非常に困難であると思っている。